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21.7.27 |
憲法9条は諸悪の根源/潮匡人/php | |
憲法9条は集団的自衛権を許していないと、一般的に言われています。内閣法制局は、9条が規制している最小限の権限を越えるからだとしています。 まず、これに対してこの本の冒頭で、著者はそれを全面的に否定します。その理論は次のとおりでです。 フランス語で国家の自衛権は、個人の正当防衛と同じ単語である。これが通念である。 私も正当防衛の規定は、自己に関する捉え方しかしていませんでしたが、読むと確かに「他人」も含んでいるのですねぇ。恥ずかしながら知らなかった。 他人の権利も守る、これが法の精神なのです。 このことが、現実の身につまされる問題になっているのが自衛隊の海外派遣における武器使用に関する問題です。 著者は、単に法令解釈的に9条の非を唱えるのでなく、人間のあり方に照らして、ソクラテスの言葉を借りながら次のように説きます。 この主張を章のまとめとして書かれたのが次のくだりです。 平和の概念について、非常に上手く書いてあります。 おまけ |
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21.7.5 |
ニッポンの蹉跌−偽りの歴史が日本を狂わす−本間正信/星雲社 | |
捻じ曲げられた近現代史を正す、というのが本書のテーマになっています。 本書の冒頭、「はじめに」の項で最初に書かれている言葉は非常にインパクトがあります。 即ち、 「日本は再び戦争を起こさないようにしなければならない」から「日本は再び戦争を起こされないようにしなければならない」への発想の転換を‥平和を維持するために と。 確かにそうです。 巷間、次のように認識されています。 「日本が戦争を起こし、自国国民のみならずアジア諸国にも大きな不幸をもたらし、そしてその故をもって敗戦時にその処罰を受けた。その罪は、いくら謝罪してもしきれないほどの大きさである。従って、もう再び戦争を起こしてはならない。」 こういう印象を我々は心の奥底にしっかりと抱いています。 もともと心優しい国民性であったところに、悪辣・狡猾な白人国家が先の大戦の戦勝を奇禍として、日本人に贖罪意識をこれでもかとばかりに刷り込んだその結果が今日まで脈々と生き続けているのです。 日本人の心優しさ(お人よしさ)と白人どもの悪辣・狡猾ささが相乗効果を生んだ、恐るべき結果です。ただし、一方的に白人を責めるわけにはいきません。というのは、こういうことがいわば国際スタンダードだからです。そのことをしかと了解していなかった(今もしていない)我々日本人、特にわが国の中枢にいるいわゆるエリート層にも責任の一端があります。 相手をいくら罵(ののし)っても、また身の不幸を嘆いても、それはまさに曳かれ者の小唄、その現実にしっかりと眼を向け、再びそうならないようにしなければなりません。 そう、 「再び戦争を起こされないようにしなければならない」のです。 当初中国によって支那事変へ、ついでアメリカによって大東亜戦争(日米戦)へ、日本は戦争に引き込まれていきます。その上に、戦争直後には東京裁判という私刑(リンチ)場で、日本は侵略国家であるとの汚名を着せられ、7名もの関係者がその見せしめとして縛り首になります。更にその上に、その(偽りの)罪状を永久的に忘れないように、そしてまともな国家国民にならないようにするための様々な仕掛けを日本国、日本国民の体の中にDNAとして作りこまれてしまうのです。 その仕掛けは色々ありますが、最も大きなものが「日本国憲法」です。 その押し付け憲法も、放棄または改正の機会がありました(平和条約発効の日;独立の日)が、結局それはなされませんでした。(政治家、官僚の職務放棄です。)そうして、ずるずると現在に至っているのです。 私は、当時の情勢は、憲法を押し付けられ、それを受け入れざるを得ないようなものであった、という理解をしていました。しかし、この本によると、同じような環境にあったドイツはどうも日本の場合と異なっているようです。 さて、もう一点、感じたことを書き留めておきたいと思います。 いつも思いますが、私たちは、もっと世間並みに狡猾になければなりません。祖先が、そして我々が汗水たらして作り上げた有形無形の富が、狡猾な外国人たち(白人、支那人ら)によってむしりとられているからです。筆が少し滑りましたが、狡猾になれというより、世界は狡猾であるということをしっかりと認識してそれに対応出来るようになれ、というのが適当でしょう。 そのためには、どういう努力をすべきか。 |
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21.6.5 |
音をたずねて/三宮麻由子/文芸春秋 | |
この本を読み始めた最初は分かりませんでしたが、著者は全盲です。 そのくらい、この方の文章は非常に読みやすく、その場の情景描写等も盲人であることを全く感じません。むしろ、常人よりも表現の仕方というか説明の仕方が上手いかもしれません。本人は見えていないのに、まるで見えているかのような表現の数々‥。じゃあ「見える」っていうのはどういうことなんだろうか、と改めて考えさせられます。 この世の中はモノとコトからなっているといえます。 私たちは、モノが「見えるから」、何もかもが分かると思ってしまっています。そして、その見えるモノに最上位の価値を与えています。確かに、モノが見えることによって得られる情報量というのは莫大なものです。しかし、ちょっと待ってよ、とこの本は私たちに語り掛けているように思います。 見えるモノ以外の価値はそんに低いのか。見えないモノ(=コト)の価値だって、少なくともモノと同じくらいの価値を与えて良いのではないか。いや、ひょっとするとそれ以上のものかもしれない。端的な話し、人の命(=モノ)より大切なもの(例えば名誉、忠誠心、愛などというコト)があるのかないのか、ということが大真面目で議論されたりするわけですから、常にモノが上位にあるとは断定できません。私たちは、モノがなまじ見えるものだから、低レベルのところで満足しきっているのかもしれません。 |
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つい先日、盲目のピアニスト辻井伸行さん(20)が米国の第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝しました。日本人として初だそうです。(こういってはなんですが)たまたま眼が見えなくっても、こういうことができるわけです。いや、むしろ、眼から入ってくる雑情報に惑わされること無く、芯から音を追求できているのかもしれません。 この本の著者も、同じです。 ピアニストの辻井さんは、記者会見で次のようなことを話しています。 この本の著者も、花火見物の様子を「夜空の響き」という文章の中で次のように書いています。 別の章「ピアノの故郷をたずねて」という文章では、ピアノ工場の内部様子を絵の様に情景描写したあと、 著者は、この本では、「音」をキーワードにして様々な場所を探訪し、それを随筆にまとめるということをされているのですが、鼈甲屋を訪れた際のことが次のように書かれています。実は、著者は盲目のピアニスト辻井さんとおなじくピアノをたしなまれるのですが、私も楽器をやったり陶芸をやったりしている関係上、大変共鳴した部分です。 大変、いい本でした。
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21.6.1 |
やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる/潮匡人/PHP | |
著者の潮氏は、若手の保守論客です。非常に理性的で、もの静かに根拠を示しながらの論の建て方には大変説得力があります。昨今、口角泡を飛ばすといった風な論者が多い中で異彩を放っています。 Pp=(C+E+M)×(S+W) これをざくっと見ると、「ハード的な力」に、「知恵と精神というソフト的な力」を掛けあわせたもの、ということです。 その原因は色々と上げられます。 潮氏は、多くの指摘をしていますが、次の点は特に共鳴をしました。 <引用> 著者は、「諸悪の根源憲法9条」という本も上梓しておられますが、それも読んでみたくなりました。 |
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21.5.20 |
日中戦争−戦争を望んだ中国望まなかった日本/北村稔・林思雲/PHP | |
日中戦争(正しくは支那事変※)は満州事変に引き続き、我が国による中国侵略であるとされております。いかにも好戦的な日本が中国大陸を席巻し、悪虐の限りを尽くしたような印象を私たちは持っています。というか、持たされているといったが正しいといって良いと思います。小中高校で、たっぷりとそう教えられているからです。かくいう私も、脳の奥深くに染み付いていたのは、そういう印象です。 さて、本書の内容ですが、支那事変と核とした日中関係及び米ソ独の関係が非常に分かりやすく述べられいます。必ずしも詳細な記述ではないのですが、要点が論理的に整理されて述べられているために、時の情勢が良く理解でます。 興味を覚えた事項が2点ありました。 2 避諱(ひき)
参考に、文書上はこうなっています。 さらに、「大東亜戦争」の呼称に関する昭和16年12月12日の閣議決定では、 |
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21.5.5 |
真珠湾<奇襲>論争/須藤真志/講談社選書メチエ | |
真珠湾奇襲に始まる日米戦争は、ルーズベルトの陰謀により引き起こされた、という説があります。つまり、ルーズメルトは何もかも知っていて、彼が日米開戦をコントロールしたというものです。 筆者は、日米の相互にパーセプション(認識)ギャップがあったと書いていますが、確かにそうもいえるのですが、しかし、戦争に向かう歴史の流れを俯瞰すれば、どちらかと言えばアメリカ陰謀説に近い見方を採るのが妥当のように私は思います。 |
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21.4.30 |
旅順攻防戦/別宮暖朗/並木書房 | |
著者の名前は「べつみやだんろう」と読みます。いわゆる歴史学者ではありません。東大経済学部で西洋経済史を専攻し信託銀行などの畑を歩いています。現在の肩書きは「歴史評論家」だそうです。 さて、この本の内容ですが、標題には「『坂の上の雲』では分からない」という装飾語がつけられ、副題として「乃木司令部は無能ではなかった」とされていることから分かるように、私たちの愛読書であった「坂の上の雲」に対する反論書になっています。 著者は、この司馬史観全体を積極的には標的としていませんが、乃木将軍非難の部分に着目をして、乃木将軍の擁護を、軍事学的な観点で行なっておりまして、私もこれを大いに納得しました。すなわち、乃木将軍は決して無能ではなかった、ということです。 この本の、最初の部分は別宮氏と兵頭氏の対談になっています。いわば、軍事技術、軍事工学をベースにして戦史を語るべし、ということをアピールするもので、想像や思い込みによる論述を戒めています。 この「対談」部分は、このようなトーンで話が進められておりますが、本著作の主旨に係ることが、次のように述べられています。 前に、武士の作法という本を読みましたが、武士というのはある意味スポーツマンであり、最後の勝利のために日々工夫と鍛錬を積む、技術職人のようなものでした。精神さえ鍛えればどうにかなるなどという思考過程はなかったと、私も思います。身体を切るか切られるかという物理現象が最後に生起するわけですから、当然「物理科学的」でなければならない訳です。 また、著者は、司馬遼太郎の旅順攻略作戦に関する捉え方は次のような誤ったものだといっています。 このことは、本誌の章の構成がつぎのようであることを見ればよくわかります。 私の理解は次のようです。 乃木は、それでも無能といわれるのですが、そうではない、という次のような記述があります。 乃木将軍は、消耗戦を強いられ、部下将兵を投入していく訳ですが、その将兵らを単なる消耗品とみなす事は出来ず、自戒の念を強く抱いていたのではないでしょうか。武士的であろうとする自己規定の考えが強かったことに加え、このような気持ちが強く働いたことから、とやかく言われても、特に反論をすることなく、誤った乃木像ができるに任せたのではないかと思います。
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21.4.1 |
使ってみたい武士の作法/並木書房/杉山頴男 | |
著者の杉山氏の肩書きは、雑誌「武道通信」の主宰者、となっています。 武士の作法の中核にあるものは「刀」です。従って、この本の内容の多くは、武士の魂である「刀」に関する話題になっています。例えば、刀をさして、すっと立った場合の左手の置き場所は腰に挿した刀の鍔の付近と決まっておりまして、鯉口の部分に手を上から添えるような格好です。こうしておくことで、いつでも鯉口を切って刀が抜けるという態勢になっている訳です。 武士と言うのは考えてみれば、直接的に世の中の役に立つような生産活動や経済活動をやるでもなく、いうなればひたすら精神世界に住み続け、世の中から超然としていたわけです。だからといって、世の中の役に立っていなかったという捉え方は、もちろん正しくありません。世の中の安定のために、いわばその要(かなめ)の役割をしっかりと果たしてきたという点、特に国難ともいえる局面では、非常に重要な存在であったといって良い訳です。まさに軍隊と同じです。 |
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トピック的な、へーっという内容がたくさんありましたが、そのなかで、「稽古」について良いことが書いてありました。(私の道楽である蕎麦打ちにも通じる内容です。)
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21.3.10 |
日露領土紛争の根源/長瀬隆/草思社 | |
本来的に領土問題は簡単には進展しないものですが、私たちが抱えている領土問題を見ると、それどころか一方的に押しまくられ、現状の既成事実化が図られています。今のこの状態というのは、単に現状の領土問題だけではなく、様々な問題に波及して行き、ついには名実共に「日本自治区」とでも言われるようになることを予感をさせます。実際、樺太はそのような経緯をもってロシア領となっているのです。そして、明らかに日本はバカにされています。このことが国家間のあらゆる事案に絡んできて、あらゆることに不利益をこうむっていくといわねばなりません。このように、ただ今現在は、問題となっている領土は小さいものですが、それがはらんでいる問題点はとてつもなく大きい訳です。 領土問題が何時までも解決しないのは、私たちの心の底に、戦後の悪しき個人主義があり、「私には直接に関係ないから」という考えがあることが大きいと思います。価値判断の際の主語が常に「私」であって「私たち」でない点が大いに問題なのです。 さて、この北方領土に関してですが、わが国では2島返還か4島返還かという論議になっていますが、肝心のロシアにはその論議に乗る気すらないように見えます。ところが、実は、4島は勿論のことあの樺太島も実は日本の領土である、と著者はいうのです。 樺太(これが日本における正規名。サハリンは他国による呼称。)が世界に紹介されたのは、オランダ人シーボルトによってでした。彼が著した書「日本」が1832年から1852年にかけて全20冊という規模で刊行されました。その第1編が「日本の地理とその発見史」というもので、そこに樺太に関して次のように記されているのです。 <引用> つまり、ロシアは、樺太は半島であり、従ってなんの問題も無く領有権があるものと認識していましたから、これに大いに関心を持ち、そしてシーボルトを介して間宮の地図を実際に見て、仰天する訳です。シーボルトの記録によるとロシアの関係当局は「これは日本人の勝ちだ(してやられた)」と叫んだとあります。 次に、条約などでどう扱われているかを見ますと、以下のような状況になっています。 <引用> つまり、日本の領土である樺太が、あいまいな状態におかれた訳です。竹島や尖閣で行われているあの「一時棚上げ」と似たようなものです。日本は当時、幕末期でして、国内外ともにいわば動乱期に入っており、そのドサクサがこうなった一因といえるでしょう。この後、ロシアは、この「共有」を「併合」と看做(みな)し、軍隊と囚人を送り込み事実上の単独支配の状態を作り上げてしまします。竹島と同じです。 <引用> この辺の経緯は詳らかではありませんが、明治維新をやっとこさっとこやり遂げて、対外的な国力も充溢していない状態で、ある意味やむをえない面があったのかもしれません。一概に、弱腰とか臆面ないとか非難できないような気もします。が、しかし、やり込められたにしろ、そのことを記録として残しておくべきでした。跡形もないような形にしてしまうというのはダメです。 そして、あのチェーホフの登場です。Wikipediaによると「桜の園」「三人姉妹」などの戯曲で有名ですが、その他にも短編小説も多数手がけております。また、ノンフィクションとして「Saghalien [or Sakhalin] Island(サハリン島)」という本を上梓しておりますが、これこそが、樺太に関するもう一つの鍵になるものです。 チェーホフは、ロシアの監獄ともなっている樺太の地における囚人の調査ということで、下田条約から35年後の1890年、上陸、1895年にはこの「サハリン島」を単行本として刊行しています。そこには日露関係史も含まれており、後のスターリン体制に見られた「サハリンはロシア人が発見したロシアの固有の領土である」という宣伝とは180°異なる内容となっています。つまり、チェーホフは、「(サハリンの)処女探検の権利は疑いもなく日本人に属し、日本人が最初に南サハリンを領有したのである」と明瞭に述べているそうです。 実際、この言葉は、後のソ連にとって看過できない内容でした。そこで、ソ連はその常套手段としてこれに類する文言を削除するなどの改竄を行なうのです。 そして、日露戦争。日本の勝利。 なんということか。 そして最後が、大東亜戦争。 つまり、日本は樺太を放棄しましたが、その帰属については定められていないのです。 その、サンフランシスコ講和会議の実際の状況は、 北方4島は、確実に日本の領土です。 ところが平成13年1月にとんでもないことが起こっております。 <引用> つまり、国として、ロシア領であるということを認めてしまった訳です。 つまり、国民も無関心、外務省は事なかれ、ひとりロシアが高笑いをしているということです。 いうまでもない、あの国賊「河野洋平」その人です。 領土問題という国家の大事について、皆が皆、無関心を決め込み、限りなく自己中心の世界を追求しているのが、今の多くの日本人の姿ではないでしょうか。日本人一人ひとりの全体像をそう決め付けているわけではありませんが、少なくとも、自分たちの生存の基盤である国家についてあまりにも無関心が過ぎる、と私ははっきっり断定します。 <参考>サンフランシスコ講和会議における吉田演説 ここに提示された平和条約は、懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且つ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。この平和条約は、復讐の条約ではなく、「和解」と「信頼」の文書であります。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します。 過去数日にわたつてこの会議の席上若干の代表団は、この条約に対して批判と苦情を表明されましたが、多数国間に於ける平和解決にあつては、すべての国を完全に満足させることは、不可能であります。この平和条約を欣然受諾するわれわれ日本人すらも、若干の点について苦情と憂慮を感じることを否定出来ないのであります。 この条約は公正にして史上かつて見ざる寛大なものであります。従つて日本のおかれている地位を十分承知しておりますが、敢えて数点につき全権各位の注意を喚起せざるを得ないのはわが国民に対する私の責務と存ずるからであります。 第一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第3条によつて国際連合の信託統治制度の下におかるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもつて諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。 千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張は、承服いたしかねます。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫の北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。 千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。 また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。
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21.2.27 |
@日本人は「やさしい」のかA日本人はなぜ「さようなら」といって別れるのか/竹内整一/ちくま新書 | |
続けて2冊読みましたが、結論を先に書くと、なにが言いたいのか良く分かりませんでした。 @の「やさしいのか」の本を手に取ったのは、日本人は良く言えば「こころ優しく」、普通に言えば「お人よしのバカ」という見方を私はしていますので、その淵源を知りたかったからです。 |
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21.212 |
昭和16年夏の敗戦/猪瀬直樹/文春文庫 | |
正論9月号(2008)に石破前防衛大臣と評論家の潮匡人氏との対談「我「国賊」と名指しされ―防衛大臣としての真意を語ろう」が掲載されておりまして、この中で、ご両人とも、先の大戦における開戦の判断について否定的な見方をされております。石破氏などは、大東亜戦争は「勝てないとわかっている戦争」であり、従ってそれを「始めたことの責任は激しく問われるべき」である。しかし、実際にはそれが曖昧模糊とされており、「国を敗北に導いた行為が、なぜ『死ねば皆英霊』として不問にされるのか私には理解ができ」ず、従ってA級戦犯は分祀すべきだ、という展開をされています。
この「勝てないとわかっている戦争」であった一つの根拠としてこの「昭和16年夏の敗戦」があげられております。 さて、この本の舞台となるのは開戦の年、昭和16年4月1日に開所した「総力戦研究所」です。建物は首相官邸の近くにありまして、開設に合わせて新築されました。 カリキュラム等にその辺のところが表れており、現在でいえば防衛研究所の課程教育がこれにもっとも近いようです。というより、防衛研究所や統合幕僚学校、陸海空の幹部学校のカリキュラムは、この総力戦研究所をモデルにして作られたのではないか、と本書を読んで感じました。 カリキュラムの概要を見ますと、内容は大きく「講義」と「演練」に分けられており、「講義」は内外識者等による座学でして、これを経て「演練」に移行するというものです。「演練」は、学生による自発的研究作業でありまして、「研究会」、「机上演習(総力戦演習)」および「課題作業」に分けられ、このうち、「机上演習」がこの課程の眼目であったものと思います。 この机上演習で与えられた課題は「昭和16年の只今現在の情況のもとに『内外に宣布すべき青国(日本)国是及び国策』」を答申せよ、というものでした。つまり、開戦すべきか否か、勝算はどうか、というものでして、学生は模擬内閣を作って、この問題に取り組んでいくのですが、これはまさに同時期の第3次近衛内閣及び東條内閣に与えら命題と同じでありました。 学生は、研究の成果を実際の内閣閣僚(近衛内閣)に対する発表を行ないます。 学生による成果発表後の所長の講評では、成果に対しては否定的な評価、すなわち、必敗との断定が避けられました。一方、発表を聞いた東條陸軍大臣は、講評として要旨「日清日露は勝てると思って戦ったのではなくやむなく立ち上がったもの。戦争には、意外裡の要素というものがあり、机上の研究とはこの点が異なる。この研究成果は口外してはならない。」と述べました。 この発言から、既に開戦必至であり、負けると分かっている戦争(口外するなというのがそう思っていた証拠)ををやってしまった、ということに繋がるわけです。この点について、東條元首相らは後世のものたちから責められているわけですが、そう単純に責めるのも適当でないと、私には思えます。 楽勝で勝てるという戦争はないでしょうし、必ず大なり小なりのリスクを負ってやる訳です。実際、米国は必死の戦いを行ないました。おそらく、当時でも、相当に分が悪い戦争だ、という認識はあったと思われます。(永野海軍大将の、「戦わざれば亡国、‥。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。」など) しかし、当時中枢にあった人たちは、与えられた全ての環境のなかで、最善と思う判断をしたのです。つまり、「必ず負けるとは限らない(「と当時判断した」)戦争」をやったわけです。少し言いかえれば「負けるかもしれないが、踏み切らざるを得なかった戦争」をやったのです。私はそう思います。それを、後世の者たちが軽々に「負けると分かっていた」と決め付けて、当時の人たちを非難してよいのでしょうか。勿論、不手際や能力不足があったでしょう。しかし、それを非難することは出来ない、と思います。 非難の声を上げている今の政治家だって、今国を危うくしている情勢を変えられないじゃありませんか。諸悪の根源と見られている官僚主導の政治、これなどはその気になれば政治家こそが変えられるものです。それをやったからといって死ぬこともありません。なのに、それも出来ない、そんな人たちが、責任を負って死んでいった人たちを非難するなどと、許せないではありませんか。 <引用> こういう空気だったのです。 また、次のような東京裁判における東條口述書についての記述も見逃せません。 その他、この本には、東條大将へ大命降下したときの状況(首相になる気は全くなかった)、12月1日の開戦決定の御前会議の夜の東條首相の様子(自室での慟哭)、等々、興味深い内容が分かりやすい筆致で描かれています。猪瀬直樹氏の力を改めで思います。 なお、この総力戦研究所のモデルはイギリスにあったようで、昭和5年頃には既にRoyal Defence College として軍と政の要員養成を行なっていたようです。
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20.11.1 |
トンデモ中国 真実は路地裏にあり/宮崎正弘/阪急コミュニケーションズ | |
中国に関して論説する本は、近年増加しているが、湯気が立って匂いまで感じさせるのは少ないものです。その独壇場に立っているのが宮崎氏ではないでしょうか。読者にそう感じさせるのは、氏が長年にわたって中国各地を定点観測したデータの信頼性、鮮度が非常に高いからです。幅も深さも半端ではないのです。 この本では、この数年をかけて、あの広い中国の文字通り全域を駆け巡り、過去との比較も加えながら実に厚みのあるレポートが分かりやすく開陳されております。読むと、なにしろ広い(だけの)中国ですから、移動も並大抵ではありません。飛行機が使えればよいのですが、半日工程のバスやタクシーはざらのようです。ちらちらとしか描かれていませんが、そこに充当された肉体的エネルギーたるや莫大なものがあると思います。我々が行なうパック旅行の対極に在る訳です。 さて、内容ですが、プロローグにその総括がなされています。 ・激安ホテル、偽物横行 ・偽札発見器が偽物だったりして ・ナモモノ、半煮えは必ず食あたりする (続けて盗難について、) ・夜の遊びは危険がいっぱい 以上は、数ページのエピローグに関してなのですが、このような状況が中国国内各地の現地の実情に照らして記述されているわけです。 筆者曰く、「(長沙で)中国人の"はとバス"に紛れ込んだ。車内で「日本軍の残虐と立ち向かった若き日の毛沢東」といった類のビデオが流される。ところが乗客の誰も真剣に見ていない。ガイドが途中から私の存在に気づき「どこから来たか」と質したので「日本から」というと「それは遠方からよくいらっしゃいました」という。結局、同乗した中国人20名を含め、バス車内での反日フイルムと現実の乗り合わせた日本人とは「別次元」。中国における「反日」「愛国」とは「ヴァーチャルな観念の産物」と筆者が繰り返し言うのはこういう現場体験からである。」 もう一つ、そうだろうな、ということを。 現に共産党の横暴振りを自分たちの実体験として目の当たりにしているわけです。なんかおかしい、ということを感じるし、それがあちらこちらで何回も続けば、そういう理解に当然至ります。ただ、残念なことに、統制が強いから、次なる行動に出にくいだけなのです。今、中国国内各地で暴動が発生している状況を見れば、その段階の突破も時間の問題かもしれません。 中国は、本気でお付き合いする相手ではありません。
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20.10.1 |
その若き命惜しまず/三好朗/すずらん書房 | |
この本は、海軍報道員であった朝日新聞記者三好朗氏による、回天搭乗員慰霊のための著作です。三好氏は、昭和17年4月に第6艦隊(即ち潜水艦隊)に「配属」され、以後従軍記者として実際に潜水艦に乗り込み、潜水艦戦を戦われた訳です。そして、昭和20年には回天を使用した神潮特別攻撃隊等についての報道に専念することになります。それもただの報道ではなく、自分も実際に潜水艦に乗り組み回天搭乗員達と戦闘行動を共にしながらの報道でありました。そういうことで、出撃していく彼らの様子が彼らの遺書を中心にして、なまなましく描かれています。 |
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20.9.1 |
サダム・フセインは偉かった/高山正之/新潮社 | |
週刊新潮の名物コラムを本にしたものです。 著者は、この本の冒頭で、「本書は、世界にあふれる『正義』がいかにいい加減か、誰の身勝手で生まれたか、をテーマにした」ものであるといっておられます。そこのところを次のように言います。
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20.8.10 |
日本を蝕む人々/渡部昇一・屋山太郎・八木秀次/PHP | |
会社の同僚の勧めで読みました。帯に書いてある言葉が「中国・韓国に迎合する輩に騙されるな」というものです。 では、どういう輩が危ないのかということですが、社民党や共産党側に立っていることを明らかにしたうえでの言動をとる人たちは今や絶滅危惧種に近い存在になりつつあって、世間からもそのように見られるようになりましたから、ある意味問題はありません。 しかし、問題となるのは、外見上は保守側に立っているように見せかけて、あるいは自分自身もそういう意識を持ちつつも実は心の奥底ではそれと反対の心根を密かに持っている人たちなのです。 つまり、世間からは、立派な保守主義の方だ、日本のために頑張って頂いているなどと見られているのですが、心底ではそうでなく実は何かと日本を貶(おとし)めることにつながる言動をとっている訳で、これが本当は大変厄介な訳です。 そういう類(たぐい)の人たちを槍玉に挙げながら、日本(国民)を良導しようというのがこの本の趣旨なです。 そのなかで、へーっという思いを持つのが以下のような方々です。列挙しますと、(敬称略) 猪木正道、五百旗頭真、北岡伸一、岡本行男。 ふんふんそうだなぁ、と比較的分かりやすいのがが、 加藤紘一、本多勝一、平山郁夫、広岡知男、小林陽太郎、北城恪太郎、田中均、池田大作、古賀誠、野田毅、 という面々です。 中でも五百旗頭真氏は現防衛大学校校長ですのでその影響力を考えると大変なものです。 教科書問題に関してもあたらしい教科書を作る会の歴史教科書に対して いやはや、これまで少し問題のある人だとは思っていましたがこれほどとは思いませんでした。 ついでに榊原英資の発言も大いにおかしい。 こういう、普段はしたり顔で発言をしている人たち、それも相当の影響力を持った人たち、が本当に危ない。
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