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17.2.2

水回しとイナゴのフン

 本日、稽古に参りました。そこでお話2題。
1水回しについて。
 本日は、○田さんに教えを乞いました。同じような事は前にも教えてもらったはずなのですが、今日、やっと納得が行きました。
 水回しの手さばきの目標は、鉢の中の粉が常時動いている状態にすること。従って、できるだけ手指の形を大きくして、指を鉢の中に均等に散開させる。この状態で、鉢の中を満遍なく回転させる。また、粉を下からすくい上げようにして回すのではなく上から押さえるような感じで回す。
 いやー、今回良く解りました。
 長嶋監督風の「バットはガーッと振る」式の指導に聞えていたのですが、自分で悩んでやっと解ったように思います。ただし、成果は訓練次第。

2イナゴのフン
 ひととおり稽古が終わり、出来上がりの作品を試食しながら、いつものようにあーだこーだの話が弾んだのですが、最後の話題がどういう経緯かイナゴを食べる話しになり、佃煮よりもカラアゲが最高であるとか、揚げる前に一旦ビニール袋に入れておいてフンをさせておいてから揚げる必要があるとか、いやいやイナゴの食べているものは稲なのだから出てくるフンは問題ない・・・などなど。
 アホみたいな話で大盛り上がり。おかげで久しぶりに心から大笑いをしました。
 最近は、よろいをしっかり着込んでいるのでこんなに隙だらけで笑うことが少なくなりました。 
 今夜は心の洗濯をさせて頂きました。

 

17.1.23

段位認定試験

   蕎麦うちに「段位」があります。
 全国麺(めん)類文化地域間交流推進協議会(全麺協)というのがありまして、一定の基準により段位が認定されます。初段からはじまり、現在4段が最高位だそうです。
 今回、私が所属します「埼玉蕎麦打ち倶楽部」の主催によって、この段位認定試験が埼玉で実施されました。(概要はここ見てください)
 ここでは、大会そのものは別にして、蕎麦うちについて得たことや感想などを記します。
 
 試験官の全般講評は次の2点でした。
@水回しが不足/不良
 「水は最初に全部を入れても、やり方をきちんとすれば、粉が粒になり、塊りになり・・ちゃんと出来ていく」ということでした。私もいろいろやっているのですが、どうも分かりません。水回しの過程というのは見た目には非常に単純でありまして、手指を使って粉を攪拌しているだけなのですが、熟達者とどう違うのでしょうか。当面の課題であります。
A打ち粉の使い方が不適当
 「打ち粉は、必要な場所に必要な量を、というのがポイント」だそうです。 むらがある(からダメだ)。だそうです。理由は、麺帯の厚さが不均一になるとか茹でる際に湯に溶け出て不具合の元になるということでしょうか。
 

 また、高段者によるデモとその解説が行われました。なるほど、と思ったことを以下に記します。
@篩(ふるい)は丁寧に。ここで異物を取り除くということと水回しが上手く行く(星が出来にくくする)準備作業でもある。
A水回しは、粉の一粒一粒に水分がいきわたるように。
 俚諺「1鉢2のし3包丁」だそうです。
 鉢では、よく捏ねて表面に艶が出るようにし、のしの段階でもこの表面の艶(しっとり感)を保つ事が肝心。従って、打ち粉は最小限にする。また、打ち粉が多いと麺帯の中に練りこまれていって味を損ねる。
B丸出し。丸く置いた麺帯の中心から外側へ、のし棒を使って押し出すような動作で薄い円形を作っていく。
C切った後、打ち粉はよーく落とす。落としていないと、茹で汁がドロドロになってうまく茹だらない。
D生舟への格納。美しく収めていく。(このため、切り幅をこの生舟の幅(の90%程度)に合わせて畳んでおくという高級テクもある。)

 その他、観覧していての所見です。
 姿勢が大事ですね。
 水回しの際に前のめりになること、がにまたになること・・粋(いき)でないですね、これは。
 それから「きり」の際の背筋の伸ばし方。これも大事。
 ゴルフのアドレスにも似ています。カッコよく斜(しゃ)に構えて遠くから包丁を覗き見る、というような気持ちで構えるということでしょうか。
 いづれにせよ、薄汚い格好などは絶対ダメで、こぎれい、サッパリ・・・。キーワードは「粋」です。
 左の写真は、高段者によるデモの際に打たれた蕎麦。均一の太さになっている。約1.5ミリ角。蕎麦の揃え方も一つのポイントで、生舟(きふね)の上をちょっと余す程度にしてある。(このためには、延しの段階でこのサイズを見越して寸法を決めねばならない。)

 

 

 

 

17.1.8

調理実習(天ぷら)

 本日は、蕎麦うち倶楽部主宰の調理実習が行われました。
 休日にも関わらず早起きをして行って参りました。

 演題は、
 1 蕎麦に関係深い「てんぷら(エビ、キス、野菜かきあげ)
 2 お酒に関係深い「つまみ料理(鶏肉とコンニャクのピリ辛煮)
 
 場所は、○野本町にある公共施設の調理実習室。
 講師は、○藤先生。とても解りやすい説明でした。
 集まったオジサンたちは30人。あーだのこーだのとワイワイの約3時間。
 そして、先生のご指導よろしきを得て、それなりのものが出来ました。

 我がチームには中々手際の良い方がおられて、さっさっさっと手が動いていきます。私はというと、後ろから眺めたり、洗い物をしたりが多かったのですが、結構勉強になりました。先生の薀蓄もおもしろかったですねぇ。
 今度は、「これしかない」というやつを作ってみようと思っております。(でも、またまた、料理にはまってしまうと・・・大変だぞ。こりゃ。)
 
 お昼は、お蕎麦(大幹事ほか数名で予め打って頂いた。多謝、多謝。)を現場で茹でて、ザルが1枚づつ。加えて、ビール少々で新年会。
 全てが手作りでありましたが、大変美味しかった。特に、蕎麦は特級品ですぞ。





 (実習の中身はここに書いてます。)

 

16.12.28

神田まつや

 会社の御用納めを終わり、若手同僚の皆さんが恒例のそばを食べに行くというので私もついて行くことにしました。総勢6人。
 JR神田駅をおりて、歩く事5分。ついた先は、あの「まつや」でした。
 「ソバ好きはソバ屋の敵」と喝破されたご主人がおられるあのお店でありました。
 外に並ぶ事15分。思ったより早くテーブルにつけました。
 店の中は、なんとなく以前にも来たような懐かしい気分がしました。杉浦日向子さんが「ソバ屋で憩う」に書いているとおりの雰囲気。ただし、同じような趣向の客で満席でしたね。表には20人位が常に並んでいるといった状況でした。

 同行の若手の同僚達の注文が面白かった。
 まず、ビールを数本、次につまみを10品程ぱぱーっと頼んでおいて、直ちに乾杯へ。つまみが出てくるにあわせてビールとお酒を追加。小一時間して、ひとしきり座が盛り上がったあたりで、本日の蕎麦隊長を任ぜられた○村君が、「そろそろ蕎麦行くか。では、大盛りを一人あたり3枚で18枚?」と宣言。おっと、僕は2枚で・・(巨漢の○中君と同じではもたぬ)、とお願いし、結局大盛り15枚を注文。
 あまり待たずに、15枚がテーブル上に山のように築きあげられました。
 隣のテーブルのおじさんとおばさんが興味深げにこちらを眺めておりましたが、こちとら酒の勢いあり、でまったく気になりませんでしたね。

 蕎麦のお味は、癖のないというか穏当な味でした。
 この混雑ですからやむを得ないことでしょうが、茹でてしばらく経っているもののようでしたが、それでも結構なお味でしたよ。また、つゆは濃いめでしたが美味い。さすが老舗ですね。
 私も2枚頂き、心もお腹も満腹となりました。
 来年も、この若手の諸君と愉快に働き、再びまつやでザルの山を築きたいと思いました。若さというのは良いですねぇ。

 なお、杉浦日向子さんの「ソ連で憩う」(「最近読んだ本」のコーナーのここ見てね)では、まつやを「安くてうまい!ソバ屋の殿堂」と紹介しています。

 

16.12.15

蕎麦の目(メ)

 「メ」は、ゴルフで「芝のメを読む」といいますが、あの「メ」だと思います。(漢字は「目」で良いのかなぁ。)
 
 蕎麦作りの工程のひとつに「のし」があります。
 蕎麦をこねた塊を、矩形(長方形)に、薄く(≒1.5ミリ)延ばしていきます。
 のしでは、丸い棒を使って麺帯を上から押さえるようにして、手前から先のほうへ延ばしていきます。この作業を繰り返しながら矩形(長方形)を作るようにして薄くしていくのですが、延ばす方向が一つの方向(手前から先の方)ですので、そこに横方向の「メ」が出来ると言うわけです。
 どんなメかといいますと、イメージ的には「すだれ」が適当だと思います。「のし」では丸棒を転がしながら麺体を押すことで薄くしますので、麺帯の表面にはよこに細長い微妙なでこぼこが出来ている(と思われます)。その状態をイメージで表すと、「すだれ」です。
 
 (やっと、この項の結論部分を申し上げることが出来ます。)
 のされた麺体は次に細く切って麺にするのですが、この『切る方向を「すだれ」の繊維方向に沿わせなければならない、そうしないと細長い麺にはなりません』ということなのです。そうせずに繊維を断ち切る方向に包丁を入れると、麺が短くなります。
 申し上げたいのは、これだけのことでした。(すいません)
 細かいことですが、ピリッとしたテクニックです。このような人知れぬ知識・技術の積み上げの結果として、すきっとした美味い蕎麦を作る・・・。これがたまらん、という感じでしょうか。

 なお、すだれの繊維方向に包丁が入るようにするためには、「たたみ」を適切にしなければならないのですが、それはまた別項で。

 

16.11.17

星、のし棒

1 星
  蕎麦打ちの最初の作業である水回しがもっとも重要であると教えられています。
 概ね最初の4分が勝負だそうです。
 これまで、水回しの中盤になると、比較的玉になった部分とサラサラとした白い色の細かい粒に分かれてしまします。この、細かい白い粒をと称します。
 これが出来るとダメ。
 今日のご指導で、水回しの際に、こね鉢の面に指の力が入るようにして手を回転させて見ました。(そういえば、高技量の方が水回しをされるときには盤面をこするような音がします。)こうすると、このが発生しにくのでしょうか。これまでは、盤面には指が軽く触れるような感じにしておりました。
 次回、これでやってみよう。

2 のし棒
  のし棒は、手を猫の手のような形にして棒に当て、その手を滑らすようにして棒を回転させるのですが、この手を当てることの感覚が肝心のようです。
 要は、「棒は、手で押さえられた部分がしなって、その下部にあたる部分が強く押さえ込まれる。つまり、眼には解りませんが、棒はしなっている。」ということを念頭に置くということです。で、どうなるかというと、手で押さえている部分が延びて、薄くなるということです。
 これって、一つのポイントでしょうか。
 なんか、今日は一つ開眼したという感じです。

 

 

16.11.14

こね鉢性能試験

 苦労の末に、陶器で作ったこね鉢(世界唯一)を即使ってみました。(こね鉢の方は、「陶芸作品」の欄の「14いろいろ」の項を見てくださいね。)


 水回しです。使ってみるとちょっと浅い感じがします。
 直径は良しとしても、深さをあと2〜3pほど深くして、壁の傾斜をもう少しきつめにしたが良いようです。

 今日は、少し水分が多すぎました。


 (「のし」の段階の写真を撮るのをミスしました)

 切りの段階です。
 この包丁は一応麺切り用ですが、蕎麦用ではありません。
 専門用は5万円します。一時購入を考えましたが、これでも結構使えます。
 モウマンタイ。
 
 切ったあとを、打ち粉が麺の切断面にも行き渡るように捌きます。
 まあまあ、綺麗に切れました。
 
 皿に並べて見ました。

 (「茹で」作業は、省略)

 
 出来上がり。
 丸い皿は、自作の穴あき皿です。
 水分がオートマチックに切れます。

 肝心の味ですが、概ね美味。
 やや粉っぽい感じがありましたが、これは水回しの段階が不適当であったためと思われます。


 

16.10.31

今市そばまつり

 日光の手前。いまいち、に行ってきました。
 第3回今市そばまつり、というのが行われており、私の所属する蕎麦打ち倶楽部も出店しております。家内と蕎麦大好きの娘をつれて、往復4時間のドライブを敢行致しました。
 場所は、ダイヤ公園と称するオートキャンプ場です。今市市内にも近く、なかなか良い場所です。蕎麦を食べさせるお店が約20店、蕎麦の道具屋が数店、地元の農産物、そば粉などを扱う店が10店ほどでしょうか。相当な人出でした。
 蕎麦の店は皆素人(はだし)の店です。

 我が蕎麦打ち倶楽部の店とあと1店(茨城なんとかの会)の2店をチェック。
 結果は、我が蕎麦打ち倶楽部のものの方が美味しかった。量も姿も結構でした。

 蕎麦好き娘(19歳)も大変満足。
 来年は、私も作業員で参加しようと決意して、勇躍渋滞の東北道を経て家路につきました。
 往復約5時間は、つかれた。

私の所属するさいたま蕎麦打ち倶楽部の出店

 

 

 

 

 

16.10.6

うどん・ソバ・素麺-太さの訳

 なぜ、太さが違うのか?
 単純な私の疑問です。
 以下、私見。

 先日、徳島に行く機会がありまして、一杯やったあとの仕上げにうどん屋の暖簾をくぐりました。先入観も手伝っているかもしれませんが、うまい。
 全般に、こてこてしてないあっさり味。具も、確かねぎと「あげ」のきざんだやつだけ。
 そして、ふんわり感のある麺。
 ラーメンのコクも良いけれど、このあっさり感は捨てがたいですね。

 ところで、何故うどんは太いのか。
 柔らかさが、そのヒントのような気がします。
 これ以上太いとだんごになっていまうし、細いと崩れ去ってしまう。
 ふんわり感のある柔らかな麺であるためには、この太さが必要なのでは。

 次に素麺。
 これは、徹底した喉越し、食感の追求の結果か。
 細い麺が口中を移動していく感触、歯で切るときのぶつぶつ感・・・。
 この辺が良いのではないでしょうか。
 よって、麺は細くても煮崩れしないように、堅めにできている?

 さて、最後に蕎麦。
 うどんと素麺の中間であるが、何故か?

 理由はわからないが。太いの細いの食べ比べると不思議にその差は歴然。
 太いとモソモソ、細いと藻のよう・・・、いずれも味気ない。
 理由は・・・、解りません。

 書きながら、もうひとつ思い出したのが、「ひっつみ」。
 八戸で飲んだくれていた頃、タクシーにのる前によく食べました。
 麺は小麦粉を捏ねて薄く延ばしたものを、手でちぎって汁に入れてたもの。
 これもうまかったなぁ。

 以上、結局、麺好きがなんでもうまいと言っているだけでした。
 
 追記;
 そーみんチャンプルーも好きさー。
 那覇のロワジールホテルの前にある大城屋?のそれは、少し塩気が強いがオリオンビールを飲みながら食べるとたまらんよー。

 
16.9.17

ソバ好きはソバ屋の敵か

 本日の産経新聞に面白い記事が載っておりました。
 唐突ですが、今の私の思いにピッタリですので紹介いたします。
 
 老舗「神田まつや」の主人の話がこの記事のテーマです。
 すなわち、
「素人のソバ好きがのめり込んで腕を磨くとえらいことになる。そんな人には隣でソバ屋をやってもらいたくないねぇ。」
 です。
 つまり、素人は採算度外視で突き進んでいく。こだわってこだわってこだわりまくるわけです。一方商売ではどうしても採算の枠が制約になるので、味に妥協をするか、値段が高くなるか、ということになるのです。
 私は今、さいたま蕎麦うち倶楽部というところに通っているのですが、そこにいる方々がまさにこの「ソバ屋の敵」の面々です。
 とにかく、理論も技術もすごい。
 毎回の稽古ではこれらの方々が打った蕎麦を稽古の終わりに酒の肴にしてああがこうだと盛り上がるのですが、蕎麦がとにかく美味いのです。それを、まぁ、腹いっぱい食べる。
 酒が少々入って盛り上がると、これらの方々はあちこちの蕎麦の食べ歩きをしておられるので、蕎麦屋の批評が行われることがあります。露骨な批評はありませんが、自分達の蕎麦に対する自信のほどは十分に伺えます。
 しかし、商売をしたら難しかろうな、ということは異口同音に言われますね。コストを考えたら成り立たねぇよな、ということです。
 してみると、「神田まつや」のご主人、心配は要りません。
 皆、その辺りのことは解っています。我々はボランティアの領域での活動ですから。

 でも、当然中にはその気になる人が出てきます。そのときは市場経済の原則に従ってやるしかないのでしょうね。特に、中途半端な蕎麦職人の方々は心して頑張らないと絶対に負けますね。
 私、保障します。

 
16.9.15

包丁さばきの練習法

 前回に引き続き包丁さばきに関してです。
 
 本日の稽古では、前回の戦訓に基づいてかなり意識して「切り」を行ったのつもりですが、断面の形が長方形(きしめん状)になるのと幅が不ぞろいになります。そして切った跡をよく見ると刃も斜めに入っています。要するに「切り」に関しては全然ダメ。

 ひととおり終わってからコーチを受けました。
 結局は訓練ということに落ち着くのですが、その訓練要領、訓練目標と訓練成果の簡易評価法についてです。
 ■訓練要領
  「切り」の際にまな板の上に敷いている打ち粉を蕎麦に見たたて切る練習をする。
  敷いた打ち粉を切ると包丁の筋が出来るのでそれを観察すればよい。
 ■訓練目標
  包丁で切った跡(筋)の幅1.5o程度
 ■簡易評価法
  包丁を入れる際にその回数を数える。40回切って、その幅が6pになればOK。(6p÷40=1.5o)

 再び、数の話が出てきました。
 職人の合理精神がデジタルによる計数という形で、常に現れておりますね。
 私が「捏ね」をしている段階にも「ハイ、何回捏ねましたか。数えてますか?」と質問が来ました。
 私、いまだ余裕無く数えておりません。こうまでくどいように言われるのですから、これは習性になるようにしなければなりません。

 その他「水回し」
 やはりこれがもっとも重要のようです。
 最初の1分30秒で水回しが概ね終わるようにしなければならない、ということです。
 しかし、その方法たるや良く解りません。
 形の上では、先生と同じように鉢の中で手を動かしているのですが「それはただ回しているだけ。粉が乾燥するだけです。」と言われます。
 きわめてシンプルな動作ななのですが、どう違うのでしょうか。
 
 いまいち良く解りません。

 
16.8.18結局は訓練(包丁さばき)

 今日の私の稽古のテーマは包丁さばきとしました。
 蕎麦打ちの最終段階の大事な部分です。

 蕎麦のうまさは、麺の断面の形に大きく依存しているように思います。歯ざわり、喉越しといういわば感触なのですが、考えてみればそのことが味の大事な部分を占めるというのが不思議といえば不思議ですね。蕎麦は噛まずに、喉を通るときの感触が良いのだという話があります。何かの本で読んだのですが、蕎麦の断面の角部分が喉を引っかかるようにして通る感触が良いのだ、というのがありました。(私は、その辺よく解りませんが、少なくとも丸い断面の蕎麦はダメですね。)
 
 要は一辺1o強の正方形になるようにするということなのですが、これが当然のことながら大変難しい。
 着眼点はいくつかあります。
 ■背筋を伸ばした構え。体の方向は右45度。足は軽く開く。左腰を台に当てる。
 ■右手の握りは軽く。ゴルフと同じ小指付近にのみ力を入れる。
 ■切る際に腕の力は入れない。上から押し切るのではなく、前方へスライドしてこすって切っていく感じ。包丁の着地は手前から。包丁は真上から落とす。この際包丁の刃を駒板に沿わして。
 ■切り幅は駒板をずらすことで決める(説明難)。一定の切り幅にするには、一定のリズムが大事。
・・・等々。

 できません。どうしても、あらゆる点で不ぞろいです。
 お二人の先生に指導を求めたのですが、
 結局は
 「上のような着眼のもと、繰り返しの訓練です」
 でした。

 私 「ははーっ」

 
16.7.21手際の大切さ

 今日も、そと二(そば粉10に小麦粉2)。600g。
 ■水回し;割とうまく行きました。手の使い方として小さい半径で、早く、突き出すようにすると「常に粉全体が動き続けるように」という水回しの目標に合うように思えました。
 ■のし;一応60p×70p程度の長方形が出来ましたよ。
 ■たたみ;表面をなぞってみるとでこぼこあります。このように、たたんだ後に(8枚になっている)触ると不均一がよく解ります。先生の言では中央部分が薄くなり勝ちだ、とのこと。
 ■切り;雑です。どこをどう見ながら幅を決めればよいのやら、良く解っていないんだな、きっと。今度聞こう。一方、先生方の包丁捌きはリズミカルで幅が一定で正確。
・・・、でした。

 ひとわたり、全員がそれぞれの練習がおわった後、昇段試験?を近々受けるお二人がリハーサルを実施。60p径の鉢を使って1.5`を40分で打つというものです。
 お二人は、なんとなく相互に意識し、大変緊張なさっている。周りで見ているのは仲間だけなのだが、やはり人の目というのは気になるのだなぁ。
 緊張のせいか、二人とも一回づつの明らかなミスをされるが、時間内にかなりのモノを作り上げられたのは見事でした。

 幹事長の講評によれば「Aさんは、手順が自己流になっており、無駄な動きが多い」とびしっと指摘。私、見ている分には、「のし」もきれいな四角に肌合いも良くできていたし、非の打ちようがないと思っていたのだが、そうでないということ。
 
 「熟達者」というと「研ぎ澄まされた勘」とか「長年の勘」などという情緒的な面が強調され勝ちであるが、決してそうではないように思います。なにしろ、一定の高品質のモノを作り続けていかねばならないのだから、きちんとした合理的な手順が確立していなければなりません。当たり前ですね。つまり、「熟達者」とは「長年の間に培われた確実な手順を身につけている人」ということではないでしょうか。

 今回、そば打ちを習い始めてたびたび耳にするのは「回数を数えろ」ということです。アナログではなくデジタルで行け、ということです。してみると、江戸の時代、かなりのデジタル化が進んでいた訳ですな。捏ね、切り、のしの回数、茹での秒数。丸出し、のしの広さの寸法・・・全て数字で把握せよということです。また、感覚でやっていたら進歩もないよということのようです。
 そして、のした蕎麦をたたむとき、切った蕎麦の束を持って粉を落とすとき、まるで茶道の作法のような手・指の使い方をします。

 ここには、合理性と粋(かっこよさ)が共存しておりますね。いいですねぇ。
 よーし、それとなくスマートな身のこなしで、すきっとしたそばを打てるようになるぞー。

 
16.5.19早いばかりが蕎麦じゃない

 本日も外二(そとに)。トータル600g。
 手順が完全に頭に入っていないので、手際が悪く、まったくスマートでありません。蕎麦職人にほど遠い。 これが、今日の反省事項です。

 打ちあがりは、やや薄すぎ。形もきれいな四角にならず。(つなぎ具合はまぁまぁか)
 味は、自宅に持ち帰って食べてみたのだが、先生方のと比べてピシッとしていない。この差はなんなのでしょうか。

 ひとついえるのは、断面の形です。今回も、のしの段階で薄くなりました。従ってこれを切ると、ひらぺったいものになります。これは、食感が良くない。むしろ、平たいから良くないというのではなくて、どうも薄いから良くないように思えます。やはり、断面は1mm強の四角にならなくてはダメのようです。
 もうひとつの理由は、茹でと水回しにあるようなのだが、今はそこら辺はまったく分かりません。お家で茹でるとなんとなく、麺がひねくれてすらりとした形になりません。これは、こんど聞くことにしよう。

 さて、皆が打ち終わって後の反省会(ちょっと一杯会)での話題。
 私はこれまで、蕎麦は、打ちたて、切りたて、茹でたてでなくてはならないと、思っていました。従って、うまい蕎麦屋というのは、客の顔を見てから打ち始めるのだ、と思っていた(確かそう書いてあった)。それが証拠に、この会で食べる蕎麦は、それらを満足しているからうまいのだ、と思っていました。
 ところがどっこい、先生方の薀蓄を聞くと、蕎麦は、切ったあと数時間置いた方がうまいそうです。
 目でわかるのが、茹でるときの状況だそうで、切り立ては湯の中に沈まないで、表面付近で運動するのみであるのに対して、数時間(一晩くらいも可)おいたものは、一旦湯の中に沈み、湯の対流運動に応じて縦方向に良く運動するそうだ。そして、味も良い、のだそうです。
 さらに先生曰く、「確かにここで食べるのは(そこいらのダメな蕎麦やのヤツより)うまいが、時間を置くことでもっとうまくなるのだ」と。

 蕎麦は、なんでも早い。
 生育も早い、粉も製粉後早めに、打つのも素早く、切って茹でるのも早く、そして食べるのも早く・・・、であり、全てに「早く」というのが、蕎麦の蕎麦たる所以と思っていたが、物事は必ずしもそう単純には割りきれないぞ、の例です。

 あぁ、勉強になるなぁ。

 
16.5.6生粉(きこ)打ち

 本日で4回目の稽古。
 梅○先生の指導を得ながら、そば粉500g、小麦粉100g(外二といいます)を打つ。「水回し」と「こね」が割りとスムーズにでき、最終的な出来上がりもまずまずかなぁ。この「水まわし」を手際よく、というのがポイントのようです。

 過去の経験で、上手く出来なかった蕎麦には2種類あって、一つは粉っぽいやつ、もう一つは妙に歯ごたえがあり過ぎてゴムみたいなやつ。出来の良いやつというは、その中間ということでよいのでしょうか。今日のやつは、そんな感じ。
ただし、「のし」をし過ぎて、厚さが薄めになってしまって、「平うち(きしめん状態)」になった。 では、適正な厚さにするにはどうすれば良いか。
 答えは、粉の量に応じて決められた面積にのせば良い、です。
 通常四角にのして行きますから、一辺○pにすれば良いわけです(もちろん均一な厚さでなければなりません)
 正確(合理的)な手順が大事ということです。職人=「感」という図式は当てはまりません。まずは愚直に基本手順を守ることが大切です。

 さて、今日は「生粉(きこ)打ち」なる言葉を初めて聞きました。つなぎに何も入れない十割そばのことです。
 田○先生が打ったやつを最後の反省会の際、賞味させてもらったのですが、実にうまい。姿も良い。つやもあってまったく普通の蕎麦。箸でつまんでも切れない。これが、蕎麦の味か・・、という感慨。
 
 稽古の最後に、皆がそれぞれに打った蕎麦を少しづつ食べるのですが、先生方の打ったやつは、その辺の蕎麦屋で食べるのより数段美味い。毎回、大変な贅沢です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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